2014年9月6日土曜日

アクターのためのプライマリーアクション

わたしのアレクサンダーテクニークの師であるキャシー・マデン先生は
ユニークなアレクサンダーテクニークの教え方をされています。

来日される度に、新しい言葉を造語され、これをもってアレクサンダーテクニークのレッスンを展開されます。

今年(2014年)は「ペプル」、その前が「アノシャー」、「ハナビ」や「ネコネコ」などもありました。

この方法は俳優が演技にアレクサンダーテクニークを取り入れる際に大変有用です。キャシー先生ご自身が俳優さんで、かつ演技教師でもあることはこのアイデアを発見された大きな要因でしょう。

この造語を使うレッスンと使わないレッスンでは受講される方々の学習スピードが全然違うのです。ゆえに、わたしも自分の俳優さん向けのレッスンで「ワタトリ」、「パイルダーオン」、「ハイアレ」などを俳優さんたちに提案し使っています。はじめは「カズさんは変なこと言ってるな」と思いながらも、だんだんその使い勝手の良さを感じていくようです。

以下は2013年、キャシー先生来日中に先生のレッスンのなかで「アノシャーの使いかた」としてプレゼンテーションしたものの要約です。

読んで頂けるとわかると思いますが、その理由で今年先生は最初「ペプラー」を提案されましたが途中からお願いして「ペプル」に変えてもらったいきさつもあります。(笑)

以下をこのブログに残しておきます。

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「アノシャー」とは、「頭の繊細な動きに自分のすべてが、順々にそしてほぼ同時に、ついていくことを自分にお願いする」と言う意味です。

すなわちアレクサンダーテクニークの原理を自分に指示する、方向性を自分に与えることです。

この「アノシャー」は<動詞>です。しかし、もしかしたら動詞であることを日本語的に実感を持たせるならば、「アノシャーする」と言うのが良いのかもしれません。

なぜなら「アノシャー」だけだと、なんだか意味不明なおまじないのようにも感じられますし
その意味の通りお願いしても、自分ではない誰か…神様か!?にお願いしているように
少なくとも僕の場合は感じてしまうからです。
(実際数年に渡ってこのような誤解を私自身がしており、ゆえにこのアプローチは機能しないという判断をしばらくの間していました)

日本人にとって動詞の終止形はウ段の音で終わるほうが動詞、すなわち事物の動作・作用・状態・存在などを表す語として理解しやすいかもしれません。

だから、この場合は「アノシャる」でも構わないしw…「アノる」でも良くてww、要するにこれは<意識的にすること>なのです。


ただし「アノシャーする」ではその行動は完成されません。

「アノシャーする」には、必ずその後に<自分にとって大切な、自分がしたいことが動詞で>続きます。

例えば、あなたにとって「歩く」ことが大切な行為であるならば
「アノシャーして、そして歩く」「アノって、歩く」「アノり歩く」ということになります。

ただし、ここで注意していただきたいのが「アノシャーする」のは「歩く」直前も、「歩きだし」も、「歩いてる」最中もし続けることです。

すなわち「アノシャーする」とは、その行為を起こす直前にも最中にも、その行為が終わるその瞬間にも「すること」「していること」なのです。


この「アノシャー」を、自分にとって大切な行為・アクティビティに取り入れることによって、行為の間も「アノシャー」をし続けていることによって、アレクサンダー・テクニックにおける大切な要素がほぼ全て集約され実行することができると私は考えます。

それは、プライマリーコントロールでもあり、心身が一つであることでもあり、抑制と方向性の性質でもあり、感覚を探ることをさけることでもあります。

「アノシャー」はアレクサンダー・テクニックを研究するためのものではなく、アレクサンダー・テクニックを実践するためのものです。

自分自身の望みを叶えたい、今から行う行為を大切にしたい、そういう人にとって、アノシャーは大きな助けとなるでしょう。

もちろん、アノシャーをすることで、それまで出来なかったことが突然できるようになるというわけではありません。それまでにすでにできることの質を向上させてくれる実践的な手段なのです。

「アノシャー」とは、人がすでに出来る自分自身の行為がよりよいものであることを望むとき、そのすべての営為・行為に先立って…また営為・行為の最中にも、これらが変化するたびにも…為されるべき初源的行為…プライマリーアクションであるとわたしは考えます。

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