人に見られることを拒んでる俳優って、実はとっても多いと思います。
自分でも気づかないまま、自分一人の世界に籠りながら演技をしつづける。
果たしてこれは「表現」・・・表に現わすこと・・・と言えることなのでしょうか。
まるで、人に見られることを拒むことが役者の条件であるかのごとく
当たり前のように客やカメラを疎外しながら演じる俳優をわたしたちは数多く観察することができます。
また、いわゆる「やり過ぎ」演技も、観客やカメラを拒絶しているのと何ら変わりはありません。
かく言うわたしも、「観客はいないもの…」と思いながら舞台に立っていた時期がありました。
カメラに「俺を撮らないで…」と心のなかで呟いたことも何度もあります。
一人で、観客やカメラと交流を持たず、ただ心の中の「演劇の神様」とだけ話をしていました。
その理由は人それぞれかもしれません。
ある状況になると同じように起こることもあります。
俳優になってから受けたいくつかのトラウマが影響を及ぼすこともあります。
なかには、そもそもから観客と交流をしないよう演出家から指導される人もいるようです。
その感覚を俳優を志す前から閉ざしている人もいます。
でもこれは、演技スキルとは異なる側面のことです。
この部分に視点を向けずともたしかに演技の訓練はできます。
もちろん個人的に演技を楽しむことはできなくはありません。
ただ、俳優が観客やカメラや…ひいては自分を取り巻く世界とどのようにコミュニケーションを取るか
俳優が普段からどのように世界と関わっているかは、実はそのパフォーマンスの質を決定づけてしまいます。
これは演技スキルとは異なるファクターでありながらも
実はパフォーマンスには欠かすことが出来ない重要なファクターだとわたしは思います。
俳優は意識的に、演技の訓練とは別に…または演技の訓練の際に
この要素(「外界との交流」とでも今は申しておきます)も同時に含めながら練習をする必要があるでしょう。
このファクターを発展させるアイデアとして
「人が自分を見ることを許す」や「人を自分の世界に招き入れる」などは、
大変有効に機能する考え方だと思います。
わたしの師事するアレクサンダー教師であり演技教師のキャシー・マデン先生のご提案です。
アレクサンダー・テクニックは役者が協調作用を獲得するための強力なツールですが
このテクニックの学びをより深めることにより
「カメラや観客や俳優を取り巻く世界とのより良いコミュニケーション」をも助けるものになります。
わたし自身の俳優としての実体験と、幾人かのアレクサンダーを学ぶ俳優とのやり取りや観察から
このようにわたしは思います。
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