レッスンのご案内

直近スケジュール
2018年2月23日、3月2日、3月23日
いずれも金曜日18時30分より21時30分まで

<俳優の声と存在感を育む具体的なアプローチ>
無駄にテンションを上げることなく

無闇に声を張り上げることなく
自然に存在するだけで自分自身を強く印象づけられる

<日本で唯一の本テーマ常設レッスン>
俳優が、大切な本番の最中に
アレクサンダーテクニックを
どうやって実践的に使うかその方法を伝授

<演技初心者の皆様には>
『無理のない声の出し方』『自分という楽器の奏で方』が学べる


イマのジブンをコエるコエ
独自の価値が見える存在感を育む
『俳優のためのアレクサンダーテクニック(俳アレ)』
@池袋

・開催は月に2〜3回(各自ご都合に合わせてご参加ください)
・金曜日18:30〜21:30
・チケット制(半年有効6回チケット33,000円)
・入会金不要
・お試し単発受講(事前振込6,500円、当日精算7,500円)もあります。

@池袋ヴォイス&アクターズ道場内アトリエ


<受講のご予約や詳しいお問い合わせはこちらまでお気軽にどうぞ>
salondecoordination@gmail.com(俳アレ事務局)


2013年12月26日木曜日

うごき先生のつぶやき

努力はいいから練習をしよう。

「前に進む」ことを完全にやめて、「今を生きる」ことだけができたらどうなるだろう。

「世の塵(よご)れとひとつになれ」老子

「物理学は基本的には光よりも下の物質だけを扱う専門分野であるとすると、生命の階段の真ん中あたりから下の部分を対象にする。」松村潔

意識する、記憶するとは、常に自分の速度よりも遅いものに対してにしか働かない。

結果の達成を求めるときに正しくやっていると感じたいという願い・・・これがくせ者。

やる気があるだけじゃダメ、肝心なのはそのエネルギーがどのように方向づけられているかです。

まさかこのことがカイゼンされるはずがないという思い込みは意外にも根強い。それが自分によってなされることなら、すなわち自分自身の可能性を疑っていることになる。人は概ね望みに向かうことよりも、信念を守ることにエネルギーを注ぐ。

やっぱ神様を自分の外側につくっちゃいけないよね。

秘密は人に力を与える。秘密がアイデンティティを支えてくれる。

本当を見極めることはバカでもできる。でも、それを人に伝えることは天才でもなかなか難しい。

「感覚体験を話し言葉によって伝えることは不可能」F.M.アレクサンダー

すべての演技は…提案、実験、プロセス。ワクワクしてドキドキして楽しい。

肋骨戦隊リブレンジャー*\(^o^)/*

アレクサンダーテクニックから望みに直接的に働きかけるのではなく、間接的に働きかけることが有効(格段に強力)であることを学びました。

役作り、演技プラン…それがたとえ余り具体的でないものであっても、俳アレとともにそれを自分の全体で演じたならば、そこにリアリティをもたらし得る。俳アレは俳優の想像力をも助けてくれる。

時間をかける、と本当に決心したときからものごとはスピードアップし始める。

忘れるってことが意識的にできることなら、忘れないってことも意識的にできるはず。でも、意識的に忘れるのは不可能。だから、忘れたくないことへのアイデアはひたすら思い出し続けるしかないのです。思い出すことは意識的に何時でも何度でもできます。

成功体験を持ち帰って頂くのか、次のレッスンまで日常のなかで考え続けるきっかけを持ち帰って頂くのか。もちろん両方は理想的だ。でも、人間は七つの大罪にあるように基本放っておけば怠けるもの。成功体験の質にもよるが、ただ上手くいくだけではやはり片手落ちなんではないだろうか…。

教えることは学ぶこと。なぜ私が教え続けるか、それは簡単。教えてないと学ぶことを怠ける奴だから。

協調作用とは、思ったことを実現する能力。

鍛える…という言葉を使って自分自身を傷つけて、癒やす…という言葉を使って問題から逃げてきた。共にいる…という言葉を使って自分の声を無視して、盛り上がる…という言葉を使って周囲に毒を撒き散らす。一人静かに黙坐することを選びたくなる人の気持ちは私にもよく分かる。

演技スキル+俳アレ+動機+インバイト…このパフォーマンス必須の4要素は重要です。演技スキルだけでは演技(パフォーマンス)は成り立たないのです。

「同じ行動は脳幹の同じ部分ばかりを使いその部分が疲労してしまいます。いつもと違う行動は、脳幹や小脳の疲労を回復させるのに役立つのです」…という記事をネットで見つけました。興味深かったです。

ものごとには順番がある。その順番通りにやって初めて、すべては同時に働きだし、すべてはひとつに統合される。・・・順番通りにやろう。

そこにドラマがあれば、そこに俳優はいらない。俳優は演じるのだけど、俳優であり続けなくていい。俳優がいないドラマだけを望む時、俳優は自らを消す必要はない。それではドラマは生まれない。俳優は演技になればいい。演技と同一化した途端、俳優は俳優でなくドラマそのものになる。

楽譜とひとつになる。音符とひとつになると音が自ずとつくられる。おたまじゃくしはわたし自身…てか。

クラリネットが上手に吹けるかということよりも、楽譜を読めるのか、それを音にすることができるのかってことの方が大切なような気がする。もちろん音楽家は、それを「当然のこと」「マスト」にしてるんだろうけれど。わたしにとっても「マスト」な気がする。

役者も朗唱家もそれは同じことで、書いてあることを音声化することができるかが「マスト」なんだけど、あまりにもそれが当たり前のことなんで、それを「いい加減に」やってしまうんだ。

「名詞が消え、するべき動詞だけが残った」…素晴らしい、理想だ!

ひと間置く。一旦静まる。最初はそのために10秒15秒かかるかもしれない。それでも大した長さじゃあない。そのうち1秒もかからずにできるようになる。

左右対称のアイデアを完全に手放す。とっても楽だ。そして、奥行きと螺旋は起こるべくして起こる。やめれば動く。放てば満ちる。

昨日のアンブシュアはもう無い。毎日今日のアンブシュア。

観客を圧倒…なんか、絶対にしちゃダメだよ。

みんな自分が最初に考えたってこと好きみたいだけど、僕は自分が考えてたことを誰かが考えてたら嬉しくて自信が持てる。

0 件のコメント:

コメントを投稿