2013年12月26日木曜日

うごき先生のつぶやき

原因でなく結果を創る。

「する必要があることを、する必要がある時にやれる能力」

マイズナーのレペティションは、アレクサンダーテクニックなしでは無効になってしまうのではないか…と言う俳優がやっぱり向こうにはいるんだな。まったく 無効とは言い切れないかもしれないけど、その練習の意図を考えるならば、船でアメリカ行くのと飛行機で行くのとの違いくらいはあるかもしれない。

本当にそれだけしか方法はないのだろうか?

すべての俳優が自分の存在の価値と、自分の仕事の価値を見出せますように。…そのために働くのも悪くない。

「真の芸術家というのは、自分はただやるだけです。」バシャール

理想の自分をイメージするのでなく、理想の自分でイメージする。

役をイメージするのでなく、役でイメージする。

「この感覚を憶えておいて」「この感覚を忘れないように」それは無理、意味がない。感覚は変わるもの…再現不可能な当てにならないもの。憶えておくべきは、その感覚にいたる経緯だ。何をしたのか、どんな手順でやったか。その時何を考えたか、何を思っていたか。これらなら再びすることが可能なのだ。

それを憶えてなきゃ、全部まぐれ…。

周りで起きていることに反応するだけの自分をやめて、自分が望む現実をクリエイトするために行動を重ねましょう。

客をだますことより自分をだますことのほうが難しい…自分をだますことはできません。客を信じさせる前に、自分を信じさせないと…。

同じことでも場面…状況によって、やれなくなることもあります。そんな時も、やれない自分を責めずに、「やり方」を考えましょう。

やれることを増やすのもいいですが、すでにできることをやれる<場面>を増やすことはそれ以上に大切なことかと思います。

ひとたび戦争が始まってしまうと、勝つことが明確で紛れもない望みになってしまう。しかし、実はその前に、それ以上の本当の望みがあったはずだ。無知により戦争という手段しか取れなかっただけで…。クリアな望みをいつもいつも持ち続けること、そしてその手順を建設的に考えることは平和の礎となる。

役者には、演じている時に自分を観察しているもう一人の自分がいなくてはいけない、と思ってませんか?…本当にそうかなあ。

静かなわたしになるのではなく、わたし自身が静けさになる。

それは緊張してるんじゃなくて、ワクワクしてるんだよ。(^_-)

それは落ち込んでるんじゃなくて、学んでるんだよ。(^_-)

少なくとも、あなたがアーティストなら、自分に厳しくしてはいけない…と思う。

戦っても無駄なことに戦略は要らない。

努力は習慣に勝てない。

重心ってものは確かにあります。しかし、重心を意識するのは、動きの探究には有効でないことが多いです。なぜなら、動けば重心はいつも変わるからです。重心を意識した途端に、動きは止まる。または、身体が固まりだすのです。

自分のやりたいことをやりたいようにやることは「甘え」「いけないこと」ではありません。

直接的より間接的なほうが有効です。

全力でってのは、自分全体の力でって意味です。

"Find the fit."   by Tommy Thompson

チャラいことやったり考えたりしてないで、本当にやりたいことを、自分の望みを妥協なくやると決めましょう。

扉が16戸。1戸だけ鍵が開いてる。扉の向こうが同じなら、開けたい扉の鍵を探すか、開いてる扉を探すか。…ってことだね。

答えは実は知っているのに、何が問題か?が分からなくて迷走してしまうってこと…あるんだなあ。

怖れを創造的に使う。

「正す手」とはさよならだ…。

変容の前は、皆一度…どろどろに溶けるらしい件。

メンバーが部分でいるうちは、そのカンパニーは機能しづらく、リーダーも疲弊する。メンバーが主体的に自分自身をサポートし始めると、すなわち皆が自分の面倒を自分で見るようになると、そのカンパニーは活性化し、たくさんの奇跡が当たり前のように起こり出す。

わたしの変容の様子。頭が小さくなり、眼は細くなり、腕が長くなった。胸は柔らかく、背中は丸みを帯び、腹は前方へ丸々と膨れ、お尻は小さく、腿と脹脛は 細く長くなって、足は大きくなっている。十年程前、新婚旅行先ニューカレドニアの博物館、写真で見たオセアニア原住民の酋長に…似てきてる。w

たとえどんなに細々と、セリフの言い方から動きから指示され演出をつけられたとしても、あなたの演技に何一つ自らのアイデアがなかったり採用されなかったりしたとしても、その演技をするのはやはり「あなた自身」なのです。

自分が自由で、彼女が自分といる時に自由で、彼女がいつも自由で…

心が静かなのが一番ワクワクします。

賛否両論ある映画監督が開くワークショップ。私は神社にお参りするのと同じだと思います。自分のためでなく大きく祈る…すなわち日本の映画界のためにお布施する気持ちで、年に一度参拝に行くってことなら好いんではないかと思います。

鴉が鳴くように暮らす。

もう何も要らない。

教師は可能性だけを見る。短所や長所を見いだすのは悪いことじゃないが、少なくともそれは教師の目ではない。

心静かな歓喜。心静かな成功。心静かな興奮。

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