2017年11月1日水曜日

「力を抜いて演ろう」って思いますか?


「力を抜く」というアイデアを演技に持ち込む俳優は少なくないと思います。

「もっと力を抜きなさい」と演出家や演技教師から言われることも少なくないでしょう。

「力を抜いて演ろう」「もっとリラックスして演ろう」
そう俳優はしばしば自らに言い聞かせます。

さて・・・

「力を抜く」とか「リラックス」とかいう指令を自分に送ることは演技にはどうなんでしょう。

わたしは、あまり有効でないと考えます。

そもそも、本当に力を抜いてしまったら演技はできません。
(・・・立つことさえもできませんw)

お堅い言い方でいえば、「力を抜く」の意味する部分が不明瞭で
演技にとって大切な要素である具体性、明確さにも欠けた言葉です。
(ちなみに「肩の力を抜く」も決して具体的とはいえません)

いわゆる<自然な演技>を狙ってそういう考えをもたれる場面が多いのだと思いますが
偶々まぐれで一回だけいい演技になったとしても、残念ですがそこまででしょう。
(それがたまたまOKテイクとなった人は...おめでとうございますw)

この点に関してアレクサンダーテクニックの学習でわたしにとって有効だったのは
<それをするのに本当に必要なだけの力を使う>というアイデアです。

「わたしは省エネを教えているの」
そう仰った大家のアレクサンダー教師もいらしたと聞きます。

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わたしの演技レッスンでは、俳優さんのある動きに力が入りすぎているなと感じたとき
力の入り過ぎによって俳優さんのしたいことができなくなってるように見えたとき
「その動きを骨だけでやってみたらどうかな?」
なんて提案をするときが時折あります。
ピンと来て一瞬にして動きがスムーズになる俳優さんもいます。

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むかーし、ザ・メソッドといわれる西洋伝来の
リアリズム演技のトレーニングを受けていたことがあります。
そのなかで<センスメモリー>※という基礎練習をしていたときに
(・・・例えばエアーでコーヒーを飲むとかドアを開けるとか)
「真綿を触るような感じで指先を使って・・・」
というご指導をしばしば受けました。
感じよう、感じようとするあまり頭もからだもどんどんかたくなり
何もない空間に何一つクリエイトできなかったわたしには
ただ「力を抜け」と言われるよりは
具体的にイメージしながら「力を抜ける」指示でした。

確かにこれは面白いディレクションだとは思いますが
お分かりの通りこれも結局は「力を抜く」ためのディレクションでしかありません。
本当に熱いコーヒーがなみなみと入ったカップを口元まで持っていき飲む
そのために必要なからだの使い方とはあきらかに異なります。
すなわち「真綿を触る」力加減では、「コーヒーカップ」は持てないということです。

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リラクゼイションといわれるプレパレーションワークをする俳優さんを
最近はあまり見かけなくなったのは気のせいでしょうか。
わたしが芝居を始めた頃は、まあメソッド仲間が主でしたが
お稽古の前には各々パイプ椅子に座り
みんな「あああ〜ううう〜」ってやってました。
丁寧に的確にやるといいワークなんですけれど
時折度が過ぎて、まるで夢遊病者かゾンビのようになって
舞台に出てくる俳優もいました。w

でも昨今は
適度にリラックスしてみせられる若い俳優さんが
多いようにわたしには思われます。
テレビを見てても現場でお会いしても本当に羨ましいです。
時代なんでしょうかね。

わたしの若い頃などは本当に本当に悲しいくらいガチガチで
思いっきり興奮状態にして周りが見えないようにしないと
逆に演技ができない・・・みたいな。
じゃあ演らなきゃいいだろ!?って突っ込みたくなるような
でも表現したくて叫びたくて・・・。
だから必死になって<リラックス>の練習をしてました。

でも「今はグローバルな世の中になってはいるけど
俳優の演技の<サイズ>は小さくなってる」と嘆く御方もいます。
さあどうなんでしょう。
当事者としてはお稽古を重ねるだけなんですが
確かに、媒体に自分を合わせていくような職業俳優が
アーティストとしてサイズアップしていくのは
簡単な事ではないと思います。

・・・余談が長くなりました。

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さてさて

アレクサンダーテクニックでは
やりすぎでもない、やらなすぎでもない
(・・・そしてその中間でもないw)

<ただ、それをするのに最適な力加減で動く>ことを学べます。

アレクサンダーテクニックを学ぶことによって
それをするのに使わなくてもよい<無駄な力>が抜けていきます。

レッスンを重ねれば重ねるほど
どの力を使わなくていいか(…そしてどの力を使えばいいのか)
の見極めがどんどん繊細になっていきます。
すなわち、力加減が洗練されていくのです。

すると、俳優にとってありがたいことに
それがそのまま<洗練された動き>へと繋がっていきます。

アレクサンダーテクニックを使いながら自分が意図する動きをすると

「動きがスムーズで美しい」
「自然な感じがする」
「余裕があるように見える」

というフィードバックを周囲から頻繁に貰えるようになるのはそのためでしょう。

そして、テクニックを使う本人からは

「これまでの同じ動きをしていた時よりも、自由な感覚が得られた」
「以前より動きやすくなった」
「動きの最中、自分の満足のいく集中を得られた」

という感想を多く耳にします。

興味深い感想としては

「動いてる感じがしない(…それくらい自由に動ける)けど、したいことができてる」

というのもしばしば耳にします。

(この「感じがしない」ことについては、アレクサンダーテクニックの重要なポイントなので、改めて詳しく書きましょう:))

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俳優としては…

動きの自由さを獲得することで

動きながらも、キャラクターの仮面や台詞や役の意図などを
それまで以上に、自分の望むように扱えるようになります。

動きのなかで、演じるために必要な相手役や周囲の情報がより収集し易くなり
且つ、よりスムーズにそれに対応できるようになります。

すなわち、俳優が演じる時に必要な<ゆたかなスペース>を
俳優自身のなかに獲得できるようになるのです。


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※参考
センスメモリー(センソリー、感覚の記憶)
感覚を再現することで対象や状況を何もない空間に創造する伝統的なザ・メソッドの基礎練習の呼び名。<コーヒーカップエクササイズ>などは一見パントマイムみたいですが全然質が違います。「暑さ」とか「酔い」とか「発熱」とかも創造できますし、アイデア次第でいくらでもその活用範囲は広がります。おそらく<映像化>もこれに含まれるんでしょう。わたしは大好きで、且つ大変有効な練習だと思います。要は、誰でもやってる<イメージ>のちょっと高等な練習で、紛れもなく演技のド基本のひとつなんだと思いますが、教え方と学び方そして使い方次第で、人により評価が異なるのも事実です。

1 件のコメント:

  1. とても合点がいきます。力入れ過ぎに気づく→抜きすぎ→これを見つけたいのです。

    これは初コメントでしょうか?カズさんに語りかけてもらっているようで、読みやすいです。

    ツイッターのプロフィールからもこのブログに行けるとなおうれしいです。

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